弘化4年(1847年)約173年前に、公家吉田家より総大工代表と思われる宮大工味岡善平美教らに三福の掛け軸が贈られる。
1849年掛け軸を当番制で吉田大工仲間の組頭が預かり太子講を開き今に至る。
江戸、明治、大正、昭和、令和と豊橋の皆さま方と共にこの豊橋を家造りを活性化、健康面、情報の発信の中枢として、役割を担っています。